平成30年5月8日(火)

京都市 圓通寺とルルソンキボア

地下鉄北大路駅からタクシーに乗って、圓通寺に。
タクシー歴25年の運転手さん、圓通寺道を通るとのこと。
GW中でも、こちらの方は観光客も少なかったそうだ。
入り口で、参詣者らしき人女性に、こんにちは、とあいさつされる。
静かな寺である。
私たちが一番賑やかだった。
入り口の高さ1メートくらいの椿の葉のような白い花の植物は何だったのだろうか。
受付の女性は、はなもも、と聞いている、甘い香りがする、と言った。
今日は、雨上がりで、比叡山がきれいに見えた。
じっと見ていると、というより、静かにそこに座っていると、涙が出てきた。
そして、小さな子供のころのことを思いだした。
そこに来たお兄さんが、シャッターを押してくれた。
広島から来たそうだ。一眼レフ望遠付きを持っていて、すぐにシャッターをと言ってくれたので、カメラ好き、しかも平日に仕事がなく、おおよそ40台後半、年は。自分は写さない、と言い、京都は好きであちこち、でもここ圓通寺は初めて。
https://hunfooli.jp/blog/archives/1140
この人が似ているけどなあ、、、、どうだろう。
くるりと回ると、潮音堂という小さなお堂があり、障子を開けると、不空羂索観音。
10本の手があり、光背が、瑠璃色に光って見える。台座に腰掛け、両足を下におろした姿で、静かに微笑んでいる。
「微笑みにまさる化粧なし」と筆書きが。西国三十三か所のリストがあるが、圓通寺は掲載されていない、なのに、なぜそこに西国三十三か所のリストが。
ぐるっとまわって受付に行くと、和尚さんが。
どうも、住職と思ったら、話しているうちにそうだと確信した。
観音さんは、霊元天皇のお手差しの観音で、中国金華山から、これって持って帰ってきた。
霊力が違う。
和尚さんによると、朱が剥げている、
ここは古墳というのは?
弥生時代の、山全部が古墳。
弥生時代から人が埋葬地にした、ということは、ここは霊場(パワースポット)やな。
敷地面積が、こっちだけで2万坪以上、その坪数の話から、顔がほぐれた。
住宅立てられたらあかんから、全部寺でかった、それで、墓にしたら、悪もんばっかりはいっとる、それは学者や、なんやら。
ここでこんなんやってたら、出ていかれへんし、やることぎょーさんあるのに、わしが生きてる時間が足りない、と。ここで拝観受付してるのは、布教のため、
ここに来る人は、もう何十回も来る人で、みんな静かに見てる、
それだけ、パワーがある場所や。
(すみません・・・うるさくて)
欧米人は、1時間でもじっと座っている。
どっかの国の、ゴールド・・・?コンサルティング、トヨタを立て直した人、がわしと喋って、ザ・ゴールを書いた
『ザ・ゴール』。 ~エリヤフ・ゴールドラット
日本人はすごいけど、一つだけアカンところがある、それは、自分より出来るやつを部下にせんこと。
今は、教育があかんという話。通訳は、英語だけしゃべれて、背景をしらんから、欧米人は離れる。すごく勉強してきているから。日本人はそいうことを勉強しない。
植木でも、たい肥までつくることまではしない。
(ああ、あの手は和尚さんの手か、右利きで、指先があれていた、写真が)
ここでは、わしが全部教える。で、修学院や、桂離宮や、学生を送る。
途中で、出てきた女性、麻生さん、の話。
今は親があかん。女性のほうが辛抱強い。
天皇陛下の為に、仙洞御所を復活させよと、麻生に言いに行くんや、
麻生は男気がある。
朱印は、観音さん、ここだけや、朱は印泥を使っている。
そんなんないで、やから、おそらく、天然の珠砂(辰砂のことで、古来は丹にと言われたもの)やろな。死ぬときに、これを胸に抱く。だから帳面ではない。
ルルソンキボアに食べに行くと言ったら、ええなあ、わしは、法事も行かれへんわ。
深泥池のところやな、
タクシー呼べますか?で、電話番号を教えてくれた、アオイタクシー。
タクシーも親切だった。
中野さんによると、
みどろがいけ、と言う人もいるし、みぞろがいけ、という人もいる。同じように、りょうあんじ、りゅうあんじ、も。
タクシーで、ルルソンキボアへ。
前菜は、大皿で、貝が、トリガイ(ワタ付き、めずらしい)、ほっきがい、あさり、ハマグリ、ワサビの葉。
スープはそら豆のスープ。
メイン、で、デザートは、果物がたくさん、ブドウ、キウイ、パイナップル、イチゴ、メロン、アイスはキャラメル、桜餅の葉ののった桜ババロアは、濃厚なクリームで美味しかった。
帰りは、地下鉄北山まで、歩いて7~8分かな。