平成30年12月11日(火)

京都市 報土寺と青いけ

八幡山報土寺
タクシーの運転手、寺に行くときも、店に行く時も、知らなかった。
西暦800年代に創建、それから、1500年代まで不明。創建したのは、ぎょうきょう上人
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=89
https://blog.goo.ne.jp/kiremakuri/e/5b3dad59ba7f012cc1c65b4b7ddd578b
上人は、男山八幡宮を建てた人、
1550年代に再建、相国寺門前町、今の同志社大学のところにあった。
1620年代に本堂が建てられ、それが今のものである。
豊臣秀吉がお寺をまとめて、家光が、七本松通りにお寺ばっかり集めた。お寺で京都の中心を囲った。
幕末、黒谷金戒光明寺は、会津藩
戦国末期から寺伝が残る。
本尊は、重要文化財で、京都国立博物館にある、いつからそこにあるかわからない。大正時代に博物館ができたときからかもしれない。本尊の足の裏に、1258年正嘉2年(鎌倉時代)に作られたと書かれている、正式に作られた年号がわかる数少ない仏像の一つ。
1258年から1500年代までわからないが、夢に、東から阿弥陀さんが手招きをしたので、東に旅行、近江八幡、で地面が輝いた、掘ると阿弥陀さんが出てきた、報土寺に帰りたい、それで、八幡山。本堂の内陣外陣の結界の上にかかる額は、江州八幡宮。
1500年代に再建して、現在で44代目。隠居の寺やったのではないか、と思う。
明治時代の廃仏毀釈、潰される予定だった、塔頭が2つあり、りっぱだから残しておこう、となった。庫裏とかは潰されたので、当時は、本堂で寝てた。
台風、で5メートル四方のプレハブの屋根が飛んできて、本堂の屋根に穴が空いた。瓦屋根は、砂を敷いて、瓦を乗せていたので、泥水が堂内に落ちてきた。
仏教は、苦しみである、だから、そっからどうしたらいいのか、うまいこと行くことがあって、喜びもある、だから、有り難い、と素直に喜びなさい。
起こったことに、どういうふうに受け止めるか、心持ち一つ。
位牌、肖像画は、塔頭にあったもの、照福院、黒田官兵衛(如水)の奥さんが てる。肖像画がある。
本堂、現在の御本尊、阿弥陀、勢至菩薩、観音菩薩、両脇侍。本堂の内陣、向かって右側には、善導大師(左、向かって右)、法然上人が、水冠をかぶった像が並んで、祀られる。
外側には、腹帯地蔵、等身大くらいの大きさで、江戸時代に修復したとされる、衣の柄が残る。像の後ろに扉があるのは、その中に、仏像や願いごとを入れていたのかも。鎌倉時代の作か。

青いけ
シェフの名字が、青池さん、元は、京都ホテルオークラでフレンチのシェフをしていた。
中村外二工務店、シェフの奥さんが、そのつながりで、店は、古材を使って作った。
中村外二工務店、ツボ50万円?
サービスをしてくれた人は、京都の人で、妙心寺の幼稚園、、、などで育った。元は、店の客で、シェフの後輩の店で働いていたが、数ヶ月前にここに来た。
アミューズは、ごぼうのムース、前菜は、いろいろ野菜と魚、茶碗蒸しのような、松茸とかが入った茶碗蒸しか、メインは、魚か豚肉、デザートは、マルカルポーネのクリームと洋梨。コーヒー。
皿やカップは絵や色が異なるものをそれぞれに、ウェッジウッドだったり、いろいろ。
端数の10円を切り捨てるという会計。なので、グループまとめての精算となる。


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