京都市 正法寺とスポンタネ

令和元年(2019年)年7月9日(火)

正法寺

正法寺(しょうぼうじ)
長岡京の厄除けで創建。京の西北にあたる。
西北は厄除けをする方角。

大きさは広隆寺と同じ。最澄が建てた大原寺があった。49の塔頭があった。
当時は春日善法寺という名前。桓武天皇の奥さんが藤原家の出身。奈良の春日大社の分身をここに作った。
その前から、ここには寺があった。鑑真の弟子、智威(ちい)がこの地に隠棲した、それが始まり。
応仁の乱で焼けたが、江戸時代初期、元和元年、高雄槙尾の西明寺の僧侶が尽力し、1619年に再建。

本尊、三面千手観音、鎌倉時代の初期、化仏26面+三面=29面。三面は現在・過去・未来の三世を表す。
昭和30年まで秘仏だったため、金箔がきれいに残っている。
平安時代と鎌倉時代の仏像の違いは、鎌倉時代に顔が人間に近づいてくる。玉眼をはめ込むようになった。三面とも玉眼が入っている。
合掌の手の形がピタッと決まっている。三面千手観音像は、平安時代の特色を持つ顔の表情。
手は、左右に20本づつ、の計40本。合掌の手が両手で1本、その下の手が両手で1本、合計42本と数える。

三面千手観音の左側、向かって右側は、聖観音像。異型の観音菩薩がたくさん作られるようになったので、元来の観音像が”聖観音”と呼ばれるようになった。平安初期、伝弘法大師の遺作。その左、向かって最右は大日如来、室町時代。
三面千手観音の右側、向かって最左奥は、阿弥陀如来、室町時代。この近くの安養寺の本尊だったが、廃仏毀釈でここに来た。

江戸時代初期の陶工、野々村仁清が、仁和寺の方で窯を構えていた。仁清は、阿弥陀さんを拝んでいた。仁和寺、安養寺、西明寺に香炉を寄進した。安養寺の香炉が、現存し藤田美術館にある。
安養寺という名前の寺は、阿弥陀如来が本尊。

五代将軍綱吉の母、桂昌院がこの辺に住んでいた。ので、後ろ盾となった、最初は侍女としてついていったら、家光の子供を生んでそれが綱吉だった。玉さんという名前で、輿に乗ってやってきたので、「玉の輿」という言葉ができた。

松本明慶作の仏。

一番南の部屋には、走り大黒、中国の衝立には石がはめ込まれている。庭におかれた石は、動物に例えられる。
ここからの長めが素晴らしい。大原野。
その北隣が襖絵。住職と同級生の遺作。本堂、不動堂には、烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)が安置される。そこから太鼓橋、下に庭が見える。塔は東山の高台寺からの移設。高台寺が駐車場を作るので不要になったことから、ここに移設した。

上の駐車場の松の木は、松葉が五本、または四本、または三本。

パンフレット

スポンタネ

スポンタネ。
野菜はシェフが朝、収穫したもので、軽く蒸しただけでも、旨味がある。
前菜が3種、サラダ、魚、リゾット、
ベジタリアン用には、トマトだけの澄んだスープ。これは美味しかった。魚の代わりにサラダ。これも美味しかった。
スープはとうもろこし。
バス停は、阪急バスの上里、30分に1本。