京都市 佛光寺と近又

令和2年(2020年)年2月20日(木)

佛光寺

2020-02-20
佛光寺
真宗仏光寺派、仏光寺通という名前は知っていても、佛光寺という寺があることを知らない人もいる。浄土真宗の本山の一つ。最初は山科にあった。
聖徳太子像は、16歳の時の姿で、両側に角髪(みずら)を結い、右手に貴族のシンボルの笏を持ち、左手に柄香炉を持つ。親鸞は、聖徳太子を「和国の教主で、日本における仏教の礎」と言ったので、真宗では聖徳太子像ががある。
佛光寺の元の名前は「興隆正法寺」で、その時に泥棒がはいり、阿弥陀像が盗まれた。時の天皇が光を見て、見つけた像が、台座の足とぴったりあったので、戻った。それで、天皇から「阿弥陀佛光寺」という名前を賜った。
仏光寺には絵像が一つもない。
現在地には、1486年に移ってきた。秀吉の別荘があった場所。
移転直後に、京都に大地震があり、伽藍は消失し、その後再建。江戸時代に京都に大火事があり、また伽藍は消失し、再建。幕末に蛤御門の変で、火災にあい消失し、明治時代に再建、材木は滋賀県から調達した。
本堂の上の欄間には、115年前に作られた、中国の親孝行の話し、二十四孝が彫られている。
本堂の内陣、外陣から向かって一番右側に、後醍醐天皇の位牌が祀られている。
本尊に向かって右側は、厨子に聖徳太子像、本尊に向かって左側には、七高僧(しちこうそう)の像が祀られる。絵像が祀られているが、仏像で祀られているのは、ここ佛光寺だけである。本尊側から、厨子に源空法然、源信、道綽(どうしゃく)、天親(てんじん)菩薩、龍樹(りゅうじゅ)菩薩、曇鸞(どんらん)、善導(ぜんどう)。
親鸞は、聖徳太子を観音菩薩の化身、法然を勢至菩薩の化身と言った、それで、本尊の脇侍が、そうなっている。
厨子の中の聖徳太子像は、厨子を開帳しても、胴体のみ見えるだけ。2021年が佛光寺での聖徳太子の1400回忌である。
大師堂(だいしどう)は、中央に親鸞像、それに向かって左側に、了源上人像、向かって右側には、絵像で、最近ご遷化された門主。
現在の門主は、第33代目。33代の間に、女性が3人いる。一人目の女性門主は、室町時代で、暗殺された了源上人の妻で、教団をまとめた。教団のトップになった日本で最初の女性で、先代も女性だった。訪問時(2020年2月時点)で95歳。
「たいしどう」と言うと「太子堂」、「だいしどう」と言うと「大師堂」。
人間は、生まれたときから、死ぬのが決まっている。どう生きるかを考えて、というのが仏教、今を生きていきましょう。
本堂の前の枝垂れ桜は、昭和天皇の弟君のお手植え。カフェは水曜日が定休日。

近又

近又
すべて店で作っている。味噌も漬物もちりめんじゃこもごま豆腐も。かつお昆布は、出汁をとったあとのものではない。
魚を外してもらった野菜のみの料理を出してもらった。
1皿目、麩とわけぎの酢味噌、ごま豆腐、蕪と味噌、蕪寿司とそら豆とクワイ団子。
2皿目、揚げ豆腐、しいたけ、菜の花のすまし汁、塩味はかなり薄いが出汁の味が、意識しないでいられるほど、うまい、この味のすまし汁を、私はここ以外で出会ったことがない。
3皿目、天ぷら、たけのこ、ネギ、菜の花。
4皿目、炊合せ、聖護院かぶら、えびいも、芽キャベツ。
5皿目、だし巻き卵、うるいとこごみ、さんしょ味噌。
6皿目、ご飯、汁、漬物は、大根、コブ、赤いもの
7皿目、菓子は、黒豆羊羹。
料理教室を開いていて、そこで教えるだし巻き卵は、卵4つに対して、出汁100CC、薄口醤油大さじ1、先に卵をよく溶いて、そこに出汁と醤油を入れる。
食事の後、館内を見学させてもらった。