京都市 圓徳院とレストランひらまつ高台寺

令和2年(2020年)年3月17日(火)

圓徳院

400年前、豊臣秀吉の妻、ねねの隠居だった場所である。1605年に高台寺を建立した。今、高台寺は15000坪だが、創建当時は、95000坪あった。住まいだった現在の圓徳院から、ねねは毎朝、坂を登って高台寺にお参りをした。甥御の木下としふさが、木下家の菩提を弔うために、寺とした。圓徳院は、誰かの戒名。高台寺は、ねねの戒名からつけられた。
圓徳院の建立は、徳川家康が協力した。伏見城から化粧御殿を移築した、これは江戸時代に焼失した。
南庭は、白河砂が敷き詰められいる。白河砂は、ガラス質が混ざり、日中はキラキラ光る。夜は月明かりに照らされて、明り取りに用いた。
樹齢200年の梅、白い椿雪牡丹、花の小さな胡蝶侘助(こちょうわびすけ)、あせび。女性的な庭と言われ、紅葉が植えてある。
木下いえさだ公が、南庭に面した部屋に住んだ。ねねは、北庭に面した部屋にすんだ。
南庭に面した部屋は、現在は本堂で、木下家に祀られていた、室町時代の釈迦如来立像。襖絵は、平成6年に赤松りょうによって描かれた。赤松は下書きの時点で亡くなったので、弟子が仕上げを引き継いた。白竜は秀吉を、鵜は民を表す。
現在の襖絵の以前は、長谷川等伯の絵だった。長谷川等伯は、狩野永徳に対抗して、認められるために、勝手にあがりこんで、襖絵に絵を描いた。家紋の上に描いたにも関わらず、時の住職が、認めて、それで狩野永徳と並んだ。長谷川等伯の直筆画は、16面は京都国立博物館、4面は能登の長谷川等伯美術館、4面は樂美術館の所蔵。
北庭は、伏見城で集められた石、大小200を配する。小堀遠州の弟子、けんていが作庭した。移築前は池泉式だったが、移築してから枯山水となった。橋の3つのうち、2つは天然石で、桃山時代の迫力を感じる。
伏見城から移築した化粧御殿で、ねねは、58歳から77歳まで過ごした。
臨済宗で、庭が国の名勝庭園となっているのは、日本では3つ。
中央の二股の紅葉の向かって右側には、三尊石で、仏を表す。
献茶手前は、北庭に面した大広間で行った。
献茶手前は、古田織部が依頼されて独自に考案した。秀吉が武士のように茶を飲みたい。高台に掛けられた扇子は、息がかからないようにするため。高台の上の茶碗には、すでに抹茶が入っている。茶を点てる人は、首の長い茶瓶、水差し、トルコのもののようなものをを持ったまま、茶筅を降る。いただく方の人は、両手、小指で高台の下を支え、薬指、中指、人差し指で、茶碗の脇を持ち、親指で、茶碗の縁を上から押さえて、持ち上げる。それで点ててもらった茶をそのまま、一服し、畳に降ろして、茶碗を持ち上げて飲む。天目茶碗は前後ろが無いので、回す必要がない。高台に茶碗を乗せたままで茶を飲むと、脇を張る必要がある。秀吉はそうしたかった。
茶室は、天井に明り取りがあり、明るい茶室である。

レストランひらまつ高台寺

入口付近までいくと、3名の黒服が立っていた。私達だとは思わなかったが、1人が私達を目指して、近寄ってきて声をかけた。
フランス料理を、あえて、フランス料理らしく提供する。
ボルシチ、ドライビーツにビーツの煮込みか?
トマトソースのムースは、トマトの酸味と旨味、ムースはかなり裏ごしをしてなめらか
パンのバターはエシレで、パンは、フランスで半分まで焼いたものを、日本で焼き上げてから提供する。皮はパリパリ、中はずっしりとしている。
魚は、マトウダイをそうめんのような衣で包んだもの
肉は、ウズラまるごと1羽、中は、モリーユ茸、オマール海老、ナポリのグリーンピースに、黄色いぶどうのワインを使ったソース。
スイーツは、4種のスイーツから。
ハーブティーは、、ミントの香りがよく出ていた。
ベジタリアンにも対応、炭水化物、砂糖も極力避けてくれた。
前菜には、豆に八角のような味がした。
メイン1品目はナポリのグリーンピース
メインは、ホワイトアスパラガスに、赤ワインのカシスソース。
デザートは、奈良のイチゴ、ことか、ちょっと酸味がある、と京都のイチゴとよのかだったか、酸味が少ない、にコンポートのイチゴパルスイートのゼリーだった。